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正法寺について

概要

概要

最盛期には九百人を超える学僧を擁した小西檀林の旧跡で、小西法縁発祥の寺である。寛政3年(1791年)の絵図によると、広大な境内には徳川家東金鷹狩御殿を移した、本院七堂六殿五棟、塔中四ヵ寺一院、学寮七十三舎という大伽藍が配置されている。

惜しいことに明治六年の大火で諸堂の大半を焼失し、檀林は廃止のやむなきに至った。現存する伽藍は旧講堂を改築した本堂と、徳川家綱公の寄進による中門、元禄年間建立の総門(以上、町指定文化財)のほか、妙見堂・鐘楼堂・客殿・庫裡などがある。

縁起

概要

長禄2年(1458年)、小西城主・原肥前守胤継が平賀本土寺九世・妙高院日意上人を開山に迎え自邸を寺に改めたものでこれ以後、当寺と平賀は両山一致制を敷き、七代百三十年余にわたる強固な関係を保った。七世妙道院日悟上人は天正8年(1580年)、徳川家康公から檀林開設を許可され、京都松ヶ崎檀林より通王院日裕上人を招き、ここに小西檀林が開講した。

この後、法灯は自證院日詔上人(池上十四世)、智見院日暹上人(身延二十六世)など、宗門選抜きの逸材に継承され、当寺は隆盛をきわめた。

小西檀林と小西法縁

概要

法縁は檀林出身僧の同窓組織として享保年間(1716〜35)にはほぼ確立し、入檀子弟は各出身寺の本寺(法縁寺)によって谷(学寮)を別にした。

小西檀林の場合は江戸谷・茂原谷・伊豆谷の三学寮で構成し、その主な本寺として、江戸谷は小室の妙法寺、浅草の幸龍寺(現、烏山)、深川の浄心寺。茂原谷は茂原の藻原寺、大野の本遠寺、和歌山の報恩寺、本所の法恩寺、谷中の一乗寺。伊豆谷は韮山の本立寺、三島の本覚寺、雲金の妙本寺などがあった。

また近隣の本寺、ことに幸龍寺・浄心寺・法恩寺など江戸の大刹には、各寺に十数院の宿坊(塔中)が整っていた。学僧は三ヵ月間隔の開講期―休講期を活用し、谷と宿坊を行き来して交互に生活を送った。

かくて小西檀林は飯高・中村両檀林と共に“関東三大檀林”と称され、近世まで多くの高僧・学匠を輩出し、その法縁・法脈は今なお全国に及んでいる。

主な什宝

主な什宝
  • 後西天皇女理寶宮御筆妙高山扁額(町指定文化財)
  • 日朗上人・日像上人・日意上人・日乾上人・
    日悟上人筆本尊、日暹上人筆首題(寛永7年/1630)、
    諸本山貫首署名金泥法華経(元禄年間)
  • 狩野隼人筆涅槃図(元禄年間)

境内に原肥前守胤継子孫・能登守行朝日源大居士の墓所(町指定文化財)がある。
隣地に小西檀林総鎮護柏原大明神社あり。